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黒船館

南画「丙午春日 訪東園茶寮 写此」高野米峰86歳
(なんが 「ひのえうまはるひ とうえんさりょうをたずね これをうつす」)

2011年5月号

月刊「黒船館」

 

  吉田正太郎は、ものの美しさや価値を判断するとき、直感に基づき、他を入れることなく、自らの鑑識眼、審美眼により判断をしたといわれています。

                  ◆ ◆ ◆ 

吉田正太郎の蒐集には、かわら版を中心とした多方面にわたる文明開化資料や版画家川上澄生作品はもとより、執念をもって蒐集したものの代表に、大津絵と高野米峰の水墨画を挙げることができます。

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越後の片田舎柏崎平井出身高野米峰(1821〜1909)の南画が公になったのは、大正12年6月3日付週刊紙「越後タイムス」(越後タイムス社)南画号紙上であり、吉田正太郎ほか多くの人が一文を載せています。

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ついで、昭和2年1月3日発行「みづゑ南画号」誌上に、吉田正太郎が「無名画人高野米峰」、柳宗悦が「米峰と吉田君」の一文を掲載し、正太郎は、晩年(86歳以後)、自由の境地に入って南画を良くした米峰水墨画の真価と中央での展覧会開催の必要性を述べました。

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その後、米峰南画が中央で認められ、展覧会が開かれることはありませんでした。しかし、異才北大路魯山人だけはこれを認め、昭和15年前後3年間続けて来柏し、米峰南画を所望、正太郎は5点を割愛しています。

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米峰南画の蒐集状況は、昭和初頭で凡そ80点余の半数を蒐集し、その後も蒐集を続け、ついにその大半を入手、贋物の存在も確認しています。さらに、戦後には、正太郎は自ら米峰水墨画を模写し、知人、友人に贈っています。

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もちろん、私は、米峰南画を批判し、評価する力を持ち合わせていません。しかし、他の蒐集品とともに、吉田正太郎の美に対する確固たる信念と、強烈な蒐集魂には感服します。